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1 | 前橋まつりの活性化を考えることからはじまった |
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前橋市は市制100周年記念事業として前橋まつりに「青森のねぶた」を招聘しました。 「ねぶた」を呼んだ年の前橋まつりは、それまでにはなかったほど人が集まり、立川町通りに観客が入りきらずに国道まではみ出す騒ぎになりました。 後にも先にもあれほどの人で溢れた立川町通りは見たことがありません。 このとき市民から「ラッセーラ、ラッセーラ」という掛け声をかけながら飛び歩く「はねと」を公募したところ、多くの若者が参加しました。 また、さらにお神輿を終えた若者たちも飛び込んでそれまでの前橋まつりには無い熱気・活気に溢れました。 後にこの経験がいくつかの問題提起に発展します。 一つは、「若者の受け皿を作れれば、前橋まつりはこのときのように活気にあふれるはずだ」という声。 もうひとつは、「高い費用をかけてよその祭を呼ぶより、同じお金をかけるなら地元に根付くようなものをつくるべきだ」という声でした。 そこで、市ではこの問題を検討すべく、市会議員、青年会議所、商工会議所青年部、ダンススクールの先生などからなる前橋まつり活性化 プロジェクトチームを作って新しい「前橋まつりの核」作りに着手したのです。 ちょうどこのころ、北海道大学の学生が札幌に新しい祭を実現して注目を集めていました。「ソーランよさこい祭」です。高知の「よさこい祭」 の札幌版を学生や若い人たちが中心になって運営するというものでした。 この祭は札幌以外のいろいろなところからのエントリーもあって、後に100万人を超す人を呼ぶ大イベントに発展します。 前橋まつりの活性化を考える呼び水となった「ねぶた」の青森も、注目し始めた「よさこい」の高知も前橋とは同じ競輪開催地というつながりがあります。 プロジェクトチームは早速高知にとんでその元となった「よさこい」を視察しました。 そしてその熱気に感銘を受け、前橋まつりにも「よさこい」を取り入れる方向で検討にはいり、「ねぶた」の時のように「よさこい」を呼んで参加者を募集 して様子をみることとなりました。 そうして行われた翌年の前橋まつりの「よさこい」は大盛況でした。その結果前橋まつりの核となるものは「よさこいの様なもの」にしようということに なったのです。 |